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鮭の町村上で創業二百年、塩引鮭、鮭の酒びたし、いくら醤油漬けなど鮭加工品を製造販売しています。

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〒958-0842 新潟県村上市大町4−3

会社方針CONCEPT

村上の鮭


村上の鮭

鮭のまち」として知られる新潟県村上市。
その調理法は100種類を超えるといわれ、身はもちろん頭や内蔵、中骨や皮に至るまで
捨てることなく味わいつくします。村上の人々はなぜ、それほどまでに鮭を大切にするのでしょうか。 
村上と鮭、その歴史は古く、平安時代には遠く京都の王侯貴族に三面(みおもて)川の鮭が献上されていたことが記録に残っています。 


小泉の庄

越後村上は平安の昔、小泉の庄と呼ばれ、中御門大納言家(藤原氏)の荘園であり、村上を流れる三面川の鮭も、この頃より都に献上されておりました。

古代、越後からの税は「鮭」でした。平安時代の中期法典「延喜式」には越後国が納める物品が記されています。

 主計式 上 越後国
   調 自絹十疋 綿 布(麻布),鮭
   庸 白木唐橿十合(衣類、調度品を入れる希) 自余輸狭布,鮭
 中男作物 布 紙 漆 鮭内子并子 氷頭 背腸
 内膳式 贅殿年料
     越後国 楚割鮭八籠八十隻(尾) 鮭児 水頭 背腸各四麻笥 各一斗

越後からは、調・庸として鮭、中男作物として鮭内子并子・氷頚、背腸 年料貢進御贄として楚割鮭(すはやりざけ)、鮭児・水頭・背腸を、佐渡からは、中男作物として鰒、御贅として穉海藻(わかめ)を責進しておりました。


三面川と鮭
三面川

朝日岳を流れの源とする村上の三面川の清流は、全長41キロ。越後平野をゆったりと流れ、ここ村上で日本海に注ぎます。村上の鮭を語るに越後村上の「三面川」をさけては通れません。 三面川(瀬波河)の鮭のことが出てくる最も古い資料とされるのが次の資料です。
平安時代 長寛三年(1165年)越後国司から出された「国宣」の起案文書の部分
 「但於瀬波河者 有限国領也 就中漁鮭為重色済物 庄家不可成妨」
「但し瀬波河に於いては有限の国領なり。とりわけ鮭漁は重色の済物となす。庄家(庄園の役人)は妨げなるべからず。」                             
  「新潟県史 通史編1 原始古代 より
鮭は川にのぼって産卵し、孵化した稚魚は海に下って成長します。そして3・4年荒波にもまれ成魚となり、一万数千Kmもの長い旅をして秋、産卵のためにまたふる里の川に戻るという習性をもっています。川にはそれぞれ土地固有の有機物・無機物が溶け込んでおり、鮭は臭覚で自分の生まれた川を識別していると言われています。

青砥武平冶
青砥武平冶

種川を作った青砥武平治
なぜ村上が「鮭のまち」なのか。
それは、村上の人々が 古くは平安の昔から鮭とともに歩んできたからです。 村上市内を流れる三面(みおもて)川は 古くから鮭の遡上する川として 地元に豊かな収穫をもたらしてきました。しかし自然に頼る鮭漁はやはり不安定なもの。そんなとき、安定した漁獲高を保つための画期的な方法を考え付いた人がいました。 江戸時代の村上藩士・青砥武平治です。 
鮭は必ずその生まれた川に戻ってくる。いわゆる鮭の「回帰性」と言われる本能を世界で初めて発見したのがこの青砥武平治でした。武平冶は帰ってきた鮭が安心して産卵できるよう、三面川に産卵のためのバイパス、すなわち「種川」を作って鮭の産卵に適した環境を整えようと考えたのです。
産卵条件として川底が小砂利で鮭が産卵床が作りやすい、生んだ卵を外敵から守れる、水温が安定し新鮮な水が供給可能な湧水のある所等々が考慮されたようです。
村上藩ではこの青砥武平冶の考えを採用し、彼の設計/指示により鮭保護増殖のため実に三十年以上をかけ河川整備を行い「種川」を完成させました。
村上藩がこの大工事に取り掛かったのが宝暦13年(1763年)、完成は青砥武平冶没後6年を経て、
寛政6年(1794年)とされています。
青砥武平冶以来、「種川の制」によりサケは次第に増え、豊漁がつづき、村上藩に納める運上金も最初は40両程度でしたが1800年頃には1000両を超えるまでになりました。
これが村上藩の財政に寄与いたしました。
「運上金」とは三面川の河口から酉輿屋から対岸の寺尾を結んだ村上藩簡の川を「運上川」とし村上町大年寄の責仕でその年の鮭の漁業権を入札させ、最高額の入札者がその年の大納屋になって鮭漁を行い、落札した金額を納めさせる制度です。
青砥武平冶によるこの世界初の保護増殖システムは見事に功を奏し、前にもましてたくさんの鮭がとれるようになりました。明治時代には鮭の人工孵化にも成功。それによって得た財源を旧士族達の子弟教育に使い、そのことから立身出世した人を「鮭の子」と呼ぶようになりました。

村上藩の財政を支えた鮭の運上金
青砥武平冶

「運上金」は、三面川の河口から酉輿屋から対岸の寺尾を結んだ村上藩簡の川を「運上川」とし、村上町大年寄の責仕でその年の鮭の漁業権を入札させ、最高額の入札者がその年の大納屋になって鮭漁を行い、落札した金額を納めさせる制度。
 秋初めに大年寄より「鮭川内見」の案内が川方八町と瀬波町の年寄へ出されます。(川方八町は村上の町でも三面川に近接した、肴町、塩町、小町、加賀町、庄内町、久保多町、下片町、上片町の八町をさします。)
川絵図が作成され、漁場が決定されます。
藩の役人たちが、鮭川御見分し、川方八町の年寄を通して入札が行われ、大年寄が開封、落札者が決まりました。落札者一人が請け負う納屋となります。
漁期は十一月いっぱいで、納屋が網子を雇います。
十一月廿日には運上金を上納します。
この制度により、藩の鮭の運上金は格段に増えました。

村上の鮭料理-塩引鮭

青砥武平冶

塩引鮭は郷土村上の逸品
鮭のまち・村上に伝わる100種類を超えるといわれる鮭料理。
中でも代表選手と言えるのが塩引鮭! 例年大人気を誇るこの塩引鮭こそは まさに「村上ならでは」の逸品です。  材料は鮭と塩のみ、添加物を一切使わず 自然の力だけで仕上げる究極のスローフード。 そして村上独特の厳しい寒風も 塩引鮭をおいしく仕上げるためには欠かせません。 鮭と言えばおなじみの「新巻鮭」との 最大の違いはまさにここ!適度な低温と湿度、そして北西の潮風が運んでくる 塩分と乳酸菌。
これらの要素が絶妙に組み合わさって低温発酵を促し、 鮭の持つ旨みを極限まで引き出すのです。
こうしてできあがったおいしい塩引鮭。焼いて食べればわかるその熟成された旨み!皮もぱりぱりっとおいしく食べられます。
日本酒との相性は抜群!至福のひとときです(^^) 村上では昔からお正月に欠かせないこの塩引鮭。
今ではすっかり全国区となり、 ギフトにご用命いただくことも多くなりました。
老舗【越後村上うおや】が心をこめて仕上げた 自慢の
塩引鮭】を、ぜひご賞味ください!

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