鮭いおぼやのはなし 鮭を捕らえる 中村直人氏寄稿 鮭の河川溯上傾向には時期的に複数のピークが確認されてお り、肥育海域からの回帰ルートの解明が進んでいます。 どこでどう やって獲るのかは、各漁協組合と流域住民の知恵の見せ所ともい えます。
<鮭溯上傾向モデル> Ⅰ型‥溯上と同時に産卵艀化のできるよう な小河川で現われる型で、 晩生主体で12 月中・下旬にピークがくる一峰型の溯上傾 向を示します。 Ⅱ型‥水量の多い河川で、各支流域まで 鮭が上ってくる早生鮭は溯上の力が強く、 一気に上流まで進みます。最初の溯上 ピークは11月頃にあり、12月の歳の暮れに 晩生のピークが来て終わります。 Ⅲ型‥晩生を中心とした溯上の集まる河川 でみられる溯上傾向で、 二峰型ではあって も早期群の数はきわめて少なく一月に溯上 群最大のピークが来ています。 いずれのモデルも上流部と下流部でも溯 上傾向に違いが生じています。 三面川では多岐に渡る鮭文化の営みを 育むために、Ⅱ型の傾向を維持育成して います。 加工用は北海道から、保存用は津 軽石川からの支援提携で運営しています。 <河口海域と河川流域で鮭を捕らえる> 脂の美味を求めて河口溯上前の鮭を効率 よく捕らえようと、大正期から導入された定 置網漁では増獲に、 治水事業による河川枯 水とも連動した古来からの居繰り網漁などでは減獲となり 両者の漁獲量は絶妙な均衡を 保つに至っています。 定置網漁”6″に対し河川溯上漁”1″の割 合が現在の漁獲目安のありようです。 三面川で例えますと、溯上漁が鮭2万匹に対 し定置網漁では12万匹となり、 流域漁獲合 計は14万匹とみなされます。 この海域の鮭の定置網は早川、馬下、吉浦、 岩船沖の四箇所に建てられています。 <魚付き林とは> 鮭の溯上習性に重要な影響を与える要 因は河口陰、淵陰、樹陰、夜陰であり、 魚付き林とはそのうちの樹陰を指しています。 三面川の近世においては、山廻り奉行が任命されて木の伐採を見廻っていた ほど重要視されていました。 日本海側の海岸線は砂浜が多く、河口 部のこうした樹陰は限られた特徴といえま す。 一方太平洋側ではリアス式海岸も多く 天然の河口陰、淵陰環境に恵まれている といえます。 幸いにも三面川の河口では”滝の前”と いう河口にせり出した岩山塊地形である河 口陰、淵陰と、 この魚付き林の樹陰とが相まって格好の鮭の溯上環境を形成しています。 樹種においても、常緑照葉樹のタブノキ林であり落葉せずに鮭の溯上時期においても樹陰を保つ環境を保っているといえます。 日本の北緯40度以北の樹林帯は標高が上がるとともに、ブナに代表される落葉 広葉樹(おおむね11月には落葉する)に変遷するので、 それ以降の溯上には積雪の 少ない海岸部と平野部にのみ残った貴重 な常緑照葉樹が恩恵をもたらしているとい えます。 この地が常緑照葉樹種でお馴染 みの茶の樹やヤブツバキの北限域にも相 当することとと考え合わせれば、 興味深い 縁えにしを感じていただけると思います。 中世の漁法においては、筌うけも柳で 覆ったとあり、樹陰の果たす役割は人間が考えるより遥かに大きいと思われます。
<陰の極みを待つ溯上> ようやく母川の河口沿岸まで辿り着き溯上待機している鮭は、水温と淡水適応を見計らい絶食状態のまま 一気の溯上好機を覗っています。 鮭は夜陰を利用する習性があるため、夕刻から深夜にかけてに ピークを連ねていることが調べられていま す。
川をさかのぼる 漢字では「溯る」と「遡る」 の二通りありますが、この鮭のお話しは川が舞台なので「溯る」がふさわしいようです。