鮭の町で創業二百年 越後村上うおや 鮭販売
越後村上うおやは200年前から「塩引き鮭」を作り続けてきました。
越後村上うおやは、創業200年の老舗。
日本海の旬の鮮魚とその素材を生かした、
うおやならではの手作り製品を取り揃えています。
日本海の荒海でもまれた魚介類は身が締まり、鮮度も抜群。
うおやでは、10月下旬から11月に地元でとれる最高の雄鮭にこだわり、
さらに吟味を重ね選び抜いた鮭を販売しています。
また、その旬の鮭を素材にして塩引鮭他、うおや特製の鮭製品を作り出荷しています。
会社沿革
1800年頃 越後村上うおやは寛政年間、初代上村助五郎が鮭の元売業を起業
1818年9月 上村助五郎(四十六歳)が鮭川入札でその年の鮭の漁業権を金1317両で落札
1997年7月 越後村上うおやホームページ開設。
2001年12月 にいがたデジコングランプリの企業・団体部門でホームページ賞・新潟県知事賞を受賞。
2009年10月 越後村上うおや「鮭こうば」完成しました。
2013年9月 食事処 海鮮一鰭 開店
2013年11月 食の絆サミット2013「サケ×アテグランプリ2013」で新潟大学のサークル「雪見酒」さんグランプリ受賞!アテは越後村上うおや「鮭の酒びたし」
2014年2月 BRUTUS お取り寄せグランプリ2014で「鮭の飯寿司」が グランプリに!
2014年3月 越後村上うおや「鮭こうば2」オープン
2015年5月Komachi新潟うまい店に大町文庫・海鮮一鰭が選ばれました
2016年11月 テレビ朝日 羽鳥慎一モーニングショ- 継ぐ女神 で塩引鮭とうおや女将が紹介されました
2017年2月 ANA機内で上映されているオリジナル番組「めし友図鑑」で塩引鮭が紹介されました
2017年4月 日本ギフト大賞の新潟賞に「越後村上名産塩引鮭」が選ばれました
越後村上うおやのお取り扱い商品
越後村上うおやの取扱い商品はサクラマス、天然真鯛、柳鰈、天然岩牡蠣、甘海老、岩もずくなど日本海の新鮮魚介類と、旬を素材とした各種味噌漬、醤油漬、かほり漬、西京漬、干物、惣菜など数多くの独自加工品です。特に村上は平安の昔から鮭と鮭加工品が特産として全国に知られ、塩引鮭、醤油はらこ、鮭の酒びたし、飯寿司など高くご賞味いただいております。
笹むすび製造隊 |
YUCARI |
日テレZIP |
笹むすび(おにぎり)です |
サライ下越村上の鮭を堪能する |
杉浦太陽さん取り寄せたいYO! |
秋の達人 |
UX まるどり |
日本商工会議所 月刊石垣 |
佐藤板長 カルチャースクールにて |
扱っているお魚よりも新鮮な 元お姉さん達で~す!! 今日も元気で“いらっしゃい、 何にしましょ” 皆、自分が看板娘だと 思っております。 |
伊勢みずほアナウンサーと |
新潟デジコングランプリ |
太田店長 |
社員旅行 |
さくらんぼテレビ |
一鰭開店 |
酒米はざかけと吊るしカキ |
宅食ライフ |
フジテレビ天達がいく! |
情報7days ニュースキャスター |
新潟いちばん |
スタッフ紹介/会社概要
田巻直子アナウンサ-ご家族と |
バービーさんと |
ダイスケさん |
渡辺梓さんと |
テレビ朝日の秘湯ロマン |
nifty |
やまだみつるさん、道岡さんと |
田巻佑規子アナウンサーと |
人形さま巡りで |
イブニング王国ニュース |
NHKぷらっとわがまち |
村上新聞社潮流 |
塩引鮭作り実演と鮭料理 |
鈴木英門アナウンサーと |
鮭こうば完成 |
塩引鮭を作るんです |
高橋知幸アナウンサーと |
鈴木アナウンサーと |
社員旅行 |
台湾テレビ 八代 |
海鮮一鰭 |
村上Komachi |
ヤンの気ままにドライブ |
UX 西村さんと |
テレビ朝日日本!食紀行 |
ヤンの気ままにドライブ |
渡辺梓さんと |
賀集利樹さんと |
ダイスケさんとじっぺい |
年取り魚 塩引鮭 |
やまだみつるさんと |
買い物でくらしをかえよう |
お茶はいかがですか? |
ヤンさんと |
塩引き作り |
ちちんぷいぷい |
FUKUHO100年続く「老舗」に学べ |
中村アナと佐藤板長 |
鮭こうばにて |
鮭のハラコをほぐしているんです |
鮭こうば 上棟式 |
醤油名匠 |
工藤酒屋さんと |
休憩時間です |
新年会 |
Teny テレビ新潟生中継 |
BS日テレ 塩引鮭作り体験 |
スーパーJにいがた |
|
読売新聞技味心 |
いわふね新聞看板ガール |
テレビ朝日秘湯ロマン |
Teny 夕方ワイド |
新年会 |
杉浦太陽さん、水島知子さんとうおやスタッフ
明るさとパワーで鮭をいっそう美味しくしてくれる皆と一緒に
福邦メクラブFUKUHO 100年続く「老舗」に学べ お客目線の存続を目指す
海は荒海と塩引鮭
中山晋平の「海は荒海、向こうは佐渡よ~」誰でも一度は歌ったことかあるのではないだろうか。 この荒海が新潟県村上の塩引鮭を創ってきた。新潟の雪は、べとつくと言われるが、冬日本海を渡ってきた湿気を含んだ空気が三面川を逆上り、更に湿気を増して村上に入ってくる。 この村上で200年に渡り、昔ながらの製法を変えず、塩引鮭、加工品を作ってきたのが、「越後村ようおや」(代表上村隆史9代目)である。 「うおや」は、よくある漁師の頭としてのルーツがあるわけではない。その「うおや」が、200年に渡り、鮭に関する商いをしてきた背景には、古くから続いてきた租税制度がある。一般的に、租税というと、米が代表的なものであると思われているが、その他の物納も古くから行われていた。
鮭の物納は、都に近い地域は生の鮭、村上のように遠いところは加工した鮭を送っていた 。
鮭を租税の変わりに
このことは、江戸時代に入っても変わらず、村上藩のように、これといった産物がない。ところは鮭を納税することが引き続き行われた。村上藩では入札制度を導入し、鮭の取引に間することを民間に委託(今日で言うところのアウトソーシング)したのである。 この制度により、毎年入札が行われ、今日の金額に換算すると、1億~2億円程度の資金が動いたようであり金融制度の発達していなかった江戸時代はそれなりの人物が代表となっていた。 その中の一人が、うおやの初代上村助五郎であった。上村肋五郎が村上の歴史に登場するのは、1818年に約1400両(今日に換算すると約2億円)、落札したという古文書からである。
■お国は越後
8代目夫人(上村八恵子)によると、江戸時代からの藩との関わりは長く、戦後も旧藩主のところへ鮭を送ったことがあるということだ。
江戸から明治に変わると、廃藩置県が行われ、県が中心となってきたことは確かである。しかし、今日においても藩については根強い意識が私達の心の中にある。
読者の皆さんも出身地を聞く特は、「お国はどちらですか」と聞くのもその名残である。特に、新潟県地方の出身者は越後という言葉を使うことが多い。
この郷土意識が「うおや」の業績を仲ばすこととなる。新潟村上地方の人は、戦前から戦後にかけて関東地方に就職する人が多かった。 そして、この人達が自分達が育ってきた郷土を犬切にする傾向かあり、特に村上地方出身者は、幼いころに食べた村上の塩引鮭の味を懐かしく思い出すのである。その影響があり、関東圈への出荷が「うおや」の主力ビジネスとなっている。
日本商工会議所 ビジネス情報誌 月刊石垣 暖簾を受け継ぐ 郷土に伝わる鮭加工品をつくり続ける
独自の製法にとことんこだわる
新潟県村上市は〃鮭のまち〃といわれ、毎年11月になると、至る所で軒下に鮭を干す光景を目にすることができる。 その調理法も多岐にわたり、昔からこの地に伝わるものだけで100種類を超える。 中でも、特に有名なのが「塩引鮭」だ。それを200年以上にわたってつくり続けてきたのが、越後村上うおや。同地には鮭の加工業者が16社あるが、同社がその歴史において一番の老舗だという。 「村上は塩引鮭を製造するのに最適な土地なんです。湿度が高く、気温が低いので、おいしいものができます。 ほかの地域だと鮭が乾燥し過ぎて、カチカチになってしまうんですよ」と9代目の上村隆史さんは言う。気温10度以下、湿度70%程度が最高の条件で、それに合わせて例年10月に仕込みが始まる。 まず、鮭の腹を裂いて内臓を取り除き、よく洗い塩漬けにする。これを1週間寝かせた後、水洗いして塩抜きを行い、条件が整った11月から干し始めるのだ。 干す期間は1週間で、おいしくつくるには干し方が重要だという。 うちでは干す場所を何度か変えています。最初に屋外で陰干しして、その後、室内に干します。室内の北側に干すときは、できるだけ冷たい風を当てるために朝4~6時の間に行うようにしています。そうやって、寒暖の差がある風にさらすことで、鮭のうま昧を引き出すわけです。 この干し方は代々受け継がれてきたものなんですよ」と説明してくれたのは、母親のハ恵子さん。彼女は60年近くも塩引鮭をつくり続けており、まさにうおやの昧を決めている人物なのだ。
真摯な姿勢でお客と向き合う
一時は、あまりに手間や時間がかかるため、乾燥機を使って手早く仕上げることも考えたそうだ。しかし、それでは代々守ってきた味は出せないと、あくまでも昔ながらの自然乾燥にこだわっている。 こうした真摯な姿勢は、原料選びにも見ることができる。 同社は、「おいしいものはよい原料からしかできない」との考えの下、日本海で獲れた脂が乗った鮭しか使わない。 「現在まで続けてくることができたのは、代々の当主が品質にこだわりながら、 さらにお客さまの要求に丁寧に応えてきたからだと思います。 辛口が好きな人もいれば、そうでない人もいます。 切り方も、輪切りがいい人もいれば、薄い切り身を好む人もいます。 うちではそうしたお客さまの要求に合わせて、塩の量を調節したり、切り方を変えたりして販売してきたのです」とハ恵子さんは話す。 お客から要求したものと違う‘と言われれば、丁重に謝り、すぐに新しい商品を送り届けた。そのような対応を続けてきたおかげで、何代にもわたって付き合いを続けてくれるお客が少なくないそうだ。しかも、そうした人々が日本全国にいるという。
インターネットを活用し”うおや”の味を全国へ
「長年の顧客だけでなく、最近はインターネットでたまたまうちを見つけて注文してくれたお客さまが、翌年も注文してくれるケースが非常に増えています」 こう話す隆史さんは、当初、後を継ぐ気は全くなかったそうだ。
大学を卒業した後はSE(システム・エンジニア)として働き始め、コンピューターシステムの開発などに取り組む、忙しいながらも充実した毎日を送っていたという。
ところが、インターネットが普及していく中で「これを活用することで、うおやの商売をもっと面白く展開させることができるのではないか」という思いが頭から離れなくなる。 そこでまずは、会社勤めをする傍らで、うおやのホームページを作成することにした。すると、思惑は見事に大当たり。各地から、次々と注文が舞い込んできた。 この成功を受けて、2年後の平成13年、隆史さんは会社を辞めて実家に戻ることを決断した。これには八恵子さんもとても驚いたそうだ。
というのも、そのころにはもう、息子が戻ってくるのをすっかり諦めていたからだ。
「あまりにも想定外だったため、当時はどうしていいのか分からず、困ってしまったくらいです。でも、今は戻ってきてくれたことに本当に感謝しています」とハ恵子さんはうれしそうに話す。
その後の隆史さんは、郷土に伝わる料理を参考に、タラやマスの塩引をはじめ、地元で採れる魚介類を使った新商品を次々に開発。ハ恵子さんが長年の経験を生かしてそれを実際につくり上げるという絶妙な連携で、数々の商品化を実現した。
その中でも特にマダラの鍋セットは好評で、この冬は飛ぶように売れたという。
「以前は鮭のシーズン以外は比較的暇だったんですが、隆史が戻ってきたことで、季節に応じた商品をいろいろと出せるようになり、商売の幅がぐっと広がりました」
昨年には、隆史さんが同社の代表に就任。そして、「これからは会社の規模を拡大するよりも、商品の中身の充実を図り、
村上の鮭加工品のおいしさを日本全国に伝えていきたい」と意気込みを見せる。彼は、同じ志を持つ仲間たちと協力しながら新たな動きもスタートさせている。 地元の有志とともに進めている、村上に伝わる100種類の鮭料理を再現する取り組みからは、きっと新たな名物となる商品も生まれてくるだろう。鮭のまち村上を、さらに活性化させるため、隆史さんの努力は続く。
(文・山田清志)
ManoMano Storia2
インターネット販売の原点は母と息子を繋いだ夜中のマウス。
魚やてんぷら、お惣菜を売る「うおや」の名前は全国的に有名だ。
私も10年以上前に東京に居る時から、村上うおやの「しょうゆはらこ」と「飯寿司」を嵐山光三郎さんが紹介している新聞記事を見つけて特っていた。
そんな根強いファンが全国に居るうおやの美昧しさを、さらに広めたのが1999年に立ち上げたインターネット販売。
息子の隆史さんが2001年に戻ってから本格的に始めた。
このインターネット販売の源になったのは、18年前に大手コンピューター会社のシステム
エンジニアだった隆史さんと、息子の仕事の開発賞受賞で贈られたコンピューター。
無駄にしたくない一心で3日間の特訓で覚え、四苦八苦して操作。
どうにも解らなくなってお手上げで電話しておくと、仕事から帰った東京の隆史さんが夜中に遠隔でマウスを操作して修復してくれたのだとか。息子可愛さで慣れないコンピューターを無駄にしたくなかった…と話す八恵子さん。若おかみの美智子さんが、今は隆史さんと一緒にうおやを切り盛りしている。こんな母子の愛情が村上伝統の美味しさをつないでいる。
新潟・女性の生活情報誌「キャレル」
創業200年という信用第一の老舗の魚屋 越後村上うおや
鼠ヶ関や府屋などで捕れる地物の魚介類を扱う、老舗の魚屋がこちら。
鮮度と品質の良さを承知の常連が、夏カキ、アワビ、ズワイガニと旬の味わいを求める店である。馴染み客の中には食通で知られる著名人も。
「信用第一ですからね、長い付き合いの人ばかり。
めききが一番重大で、私の仕事は厳しい目で品物を捨てること(笑)」と奥さん。
毎朝、水揚げされたばかりの魚介類は店の奥で手際よくさばかれ、
年末になると、店内はまさに鮭一色に。
脂の乗った身の厚い沖捕りの鮭は、素材を知り尽くした達人によって、
塩引き鮭や艶やかなはらこへと姿を変える。
塩引きにするのは海鮭、酒びたしにするのは川鮭。
一尾の鮭を余すところなく食べるのも村上ならではである。
塩加減や包丁さばきなどポイントはいろいろあるが、「技術の前に鮭の品質がある」と言う奥さん。
信用を置く常連客は全国に大勢いる。
ニフティ SUPER INTERNET
冬は魚が抜群においしい季節。しかもタラやフグなど、鍋にピツタリのものばかり。さらに、産地直送で鮮度バッチリの魚ならば、もはや言うことなしっ!ということで、“日本海の旬の味覚をお届けします”と謳っているネットショップ「うおや」にお邪魔した。実店舗でも鮮魚店を営む同店は、かの皇太子妃雅子様と嫁のある新潟県村上市にある。
創業200年、当代の店主・上村正弥さんで8代目を数える老舗である。
ネットショップを運営しているのは、息子の上村隆史さん。家業を継ぐべく3年ほど前に実家に戻ってきて、ネットショップを立ち上げたのだそうだ。
「私、以前は東京でサラリーマンをしていたんです。その当時は実家からよく魚を送ってもらっていたんですが、それがまたうまかったんです、何を食べても。そんなわけで『ならば、全国のみなさんに知っていただこう』ということで始めたんですよ」(ネットショップ担当・上村隆史さん)
「うおや」の主力商品は軟から冬にかけては鮭および鮭の加工品、夏は岩牡蠣だとか。「鮭は村上市の特産品です。市内に流れる三面川には鮭がのぼることで昔から知られ、平安時代には都に献上していた歴史もあるんです。当店も、創業当時は鮭の元売りをしていました。定番の『塩引鮭』は全国から注文が殺到しますね。それに『はらこ』や『鮭の飯寿司』も人気です。これらはすべて当店の手作りなんですよ」
もちろん、鯛などの各鮮魚、今回のテーマである鍋セットや鮮魚詰め合わせなども扱っている。なにせ、この村上市が面する日本海・新潟沖は、還流と暖流が交差するため、いい漁場になっているのである。
「この時期はマダラがおすすめですね。ほかにカキ、甘えび、いかなども鍋に合うかと思います。希望の魚や予算などもお客様のご要望に応じることができますので、気軽にお問い合わせください」
タラちり鍋に鮭の珍味とくれば、こりゃお酒(新潟の地酒が合う!?)が進むこと請け合い。食べ過ぎ飲み過ぎにはご注意
日経新聞 プラスワン 越後村上うおや 秋サケと日本海の幸
秋はサケの産卵の季節.生まれた川に戻ってくる旬の「秋サケ」が購入できるのが、サケの産地、新潟県村上市の「越後村上うおや」(http://www.uoya.co.jp)だ。
運営するのは、うおやシステム。実店舗は創業から200年を経た鮮魚と水産加工品を扱う店で、現在の店主で8代目を数えるという。
この季節の主力製品は村上名物の「塩引鮭(しおぴきじゃけ)」。生サケに塩をすりこみ、塩抜きした後、陰干ししたもの。新巻サケとは違う独特のうまみがある。まるごとのほか、食べやすいように4つ切りにしたものもある。
そのほか、サケを使った製品として、サケの卵(はらこ)を醤油(しょうゆ)と日本酒で味付けた「醤油はらこ」やサケの薄切り、はらこ、数の子、ニンジン、大根などを、麹(こうじ)で仕込んだ村上の正月に欠かせない「飯寿司(いいずし)」も販売する。
サケ以外にも、マダイ、コダイ、ヤナギガレイ、アジ、ハタハタ、甘エビ、アワビなど、日本海の新鮮な魚介類が豊富。春なら本マス、夏は天然岩ガキもメニューに並ぶ。送料は全国一律で880円。印刷したカタログも無料請求できる。サケを使ったレシピなどの実用的な内容のほか、各種ゲームといった遊べるコーナーも楽しい。
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